ハビタット運動について その1 (2019.2.8.)

 格差が広がるこの社会を変えていくには、格差を作り出している政治を変える必要があるのは言うまでもありませんが、それには時間がかかります。しかし、余裕のある人が、困っている人に支援の手を差し伸べることは、今すぐにできることです。そして、政治が変わるのを待つことなく、変化を起こしていくことができます。
 その一つの例として、ハビタット運動があります。
http://habitatjp.org/aboutus/history
 「人生は与えられたものであり、また自らが責任を果たしていくものでもある。
だからこそ、私の使命は助けを必要とする人々の支えになることなのです 」というフラー氏の言葉を実践する人が増えれば、増えるほど、この世界はすべての人にとって生きやすいものとなるでしょう。

 昨日は、地方再生について書きましたが、ビジネスではなく、生業で成り立つ地方再生を目指すには、支える側に回る人が必要です。「みんなが生き生きと暮らし、そして、近くの畑で採れた綿から作った服をみんなが着ている・・・妄想でしょうか?」と昨日書きました(この次の記事を参照)が、これを妄想で終わらせないためには、余裕のある人が糸を紡いで、服を作って、身近な人にプレゼントすることが必要です。そんな奇特な人がいるはずがないと決めつけて何もやらなければ、妄想のままで終わります。
 災害が起こるたびに多くのボランティアが駆け付けるこの国ですから、日常生活でのボランティアを軌道に乗せることも夢物語ではないと、私は希望を持っています。過疎化が進む日本の農村に希望の灯をともすには、衣・食・住の必需品を助け合いの中で手に入れられるようにするシステムを作っていくことだと私は思っています。農村には、必需品の原料を産出する大地があります。あとは行動あるのみです。
 そのようなシステムが整えば、必需品にお金を払わなくて済むようになるわけですから、たとえ最低賃金の仕事しか農村になくても、最低賃金のパート労働に従事しながら、半農半Xで暮らしを成り立たせていくことができるのではないでしょうか?

 


片山善博氏の講演会が2月5日に地元の美作大学であり、聞いてきました。
テーマは 真の「地方再生」でした

 特に印象に残った話は、人手不足であっても若者が都会へと流出するのは、雇用環境が悪いからという話でした。例えば、アパレル産業では、2万円の高級下着を作っても、下請けだと、納品価格は1000円だそうです。もちろんメーカーは、デザイン、マーケティング、宣伝費用をかけて販売しているわけですが、それでもずいぶん開きがあると感じました。
 このように従業員に最低賃金しか支払えない構造があるから、若者は流出し、安い賃金でも働いてくれる外国人を雇うしかない状況だそうです。
 そこで、片山氏は、デザイナーを養成し、自己ブランドを作って、マーケティングをして、仮に2000円で売ることができれば、賃金を上げることもできる。そうやって縫製業だけでなく、いろいろな仕事を作っていくことが重要だと提案されていました。
 地元企業が技術力を高めたり、給食の食材の地産地消化を推進したりなど、大切な指摘もたくさんありましたが、忘れてはならないことが、まだあるようにも思いました。、

地方再生をビジネスの視点からとらえていては、見落としてしまうことがあるのではないかと、私は感じています。以下に私が思うことをまとめてみました。
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現代人の特徴
 有名ブランド品であれば、高くても買うという、都会の人たちの見る目のなさに少しあきれましたが、物の真価を見極められなくなっているのは、都会の人に限らず、現代人の特徴だと思います。そして、コマーシャルなどに踊らされやすいです。危険ですね。
 「人に贈り物をするときは、有名百貨店の包装紙で包んだものにしなさい」と母がよく言っていました。包装紙なんて、ただのゴミじゃないかと、私は思ったものです。しかし、創業百年を超えるような老舗は、良いものをお客さんに提供することを誇りとしていました。だから、包装紙に価値があったのです。ところがいつしか、品物よりも包装紙をありがたがるように変わってしまいました。そして、今では包装紙の価値も下がりつつあるようです。最近では、百貨店よりも、イオンモールに人が集まっています。
 良いものを長く使うという習慣がすたれ、使い捨ての時代になりましたから、良いものかどうかよりも、値段がいくらかが重要視されるようになりました。ブランド品にこだわらない人は、少しでも安いものを買う傾向があります。地域の自己ブランド品である2000円の下着よりも、800円の外国産の下着を買ってしまうでしょう。ブランド品にこだわる都会のセレブ達は、やはり2万円でも一流メーカーのものを買い続けるでしょう。そんな気がします。

真の再生は物の真価を知ることから
 そこで必要なことは、人々に物の真価をわかってもらうことです。そうすれば、地域が宝の山であることがわかるでしょう。その宝を、都会に流出させないことです。
 「糸紡ぎや機織りに励んでも、今なら安く服が買えるのに…せっかく高い学費を出して大学までやってあげたのに…」と母は思っているかもしれません。84歳になる母はとりあえず元気に暮らしており、近くの公民館でのグー・チョキ・パーの体操などに出かけています。右手と左手で別の動きをするのがなかなか難しく、頭の体操になると言っています。糸紡ぎだって、右手と左手で別の動きをするから、認知症の予防になるのになあと思ってしまいます。
 地域の暮らしはもともと生業です。ビジネスでは成り立ちません。損か得か、利益になるかならないかは度外視して、みんなで協力し合って、生きていくしかないのです。年を取ったり、病気で働けない人が出れば、周りの人が支えていくしかありません。いつかは自分だって働けなくなる時が来て、支えてもらわねばならないのなら、働けるうちは、支える側にとなるわけです。
 そういう視点から考えていけば、糸紡ぎや機織りが地域に根付いていく可能性があるような気がします。糸紡ぎなら体力をそれほど必要としないので、農業がきつくなった方々でもできます。地域の方々が余暇を利用して糸紡ぎに励むなら、そして、その結果、服が出来上がるようになれば、体操教室に通う以上の充実した暮らしを手にできるのではないでしょうか?
 都会から田舎に移住した人が喜ぶことは、近所の農家から野菜をいっぱい分けていただけることです。その延長で、農家のおばちゃんたちが作った服を、移住者の子どもたちが着るようになったら、素敵だなと妄想が膨らんでいきます。そして、移住してきた若いお母さんたちも一緒に、糸を紡ぎだしたらもっと素敵です。孤独な寂しさを誰も味わうことがなく、みんなが生き生きと暮らし、そして、近くの畑で採れた綿から作った服をみんなが着ている・・・妄想でしょうか?
 販売とか、金もうけとかを最初から考えなかったらよいのです。金銭的収入にはならなくても、衣類という必需品をお金で買わなくても済むようになります。衣類だけでなく、バッグや財布だって、端切れから作ることができます。布草履だってできます。そして、生きがいが生まれます。
 作るという作業に少しでも携われば、物を見る目が変わります。簡単には捨てられなくなります。作ってくださった方々への感謝の心が生まれます。労働の尊厳と物の価値が本当にわかるようになったときに、地域は再生していくのだと思います。(2019.2.7.)


God Firstの人、マハトマ・ガンディー (2019.1.30)

1月30日はガンディーの命日です。
150年前に生まれ、71年前に暗殺された人ですが、その思想は今も生き続けています。それは、彼が祈りの人で、God Firstの生き方を貫いたからではないかと思います。

「アメリカ・ファースト」や「都民ファースト」など「○○ファースト」という言葉が一時流行っていましたが、それは、自分たちさえよければよいという、利己主義です。この利己主義を超えるためにも、ガンディーにならって、God Firstの生き方をしたいものです。

ナチスに従わなかったデンマークのGod First
ガンディーの非暴力は理想主義過ぎると批判されることがあります。ナチスのような暴力に非暴力で抵抗できるわけがないと批判されてきました。しかし、ナチスの占領下におかれたデンマークでは、人々が非暴力の不服従で対抗し、ユダヤ人をスウェーデンに逃がすことで、彼らを守りました。ユダヤ人たちが、黄色いダビテの星の着いた衣服を着ることを命じられた時は、デンマーク王がそれを率先して身に着けましたし、鉄道路線のサボタージュなど、あらゆる方法で、ナチスによる支配を無効にしていったのです。
これと対照的に、オランダでは、多くのユダヤ人が命を落としています。何が、このような違いを生じさせたのでしょうか?
私は、デンマークの人たちが、God Firstの人たちだったからではないかと思います。そして、そのカギを握るのが、デンマークの教育者で牧師でもあったグルントヴィ(1783年-1872年)が提唱した「民衆高等学校」(フォルケ・ホイスコーレ)であったと、私は感じています。デンマークでは、「民衆学校」の伝統があり、この学校で啓蒙されていたので、ナチスの命令よりも神の命令に従うことができたようです。God Firstです。

民主主義の土台
グルントヴィは、民主主義とは、政治制度よりもむしろ、国民一人一人の生活であると考えていました。「ドイツでナチズムの空文句にだまされたのは政治的に未発達な中間階級、特に女性たちであった。問題は、この未成熟を克服するために何がなされるべきか、ということである。・・・ 成文憲法はそれなりに良いものである。しかし、それは象徴であり、決定的なことは民衆的・国民的生活がこの象徴を内実あるものにするかどうかである。民主主義は・・権力が正義であることを否定し、言論を自由にする」と、グルントヴィの紹介者であるハル・コックはその著書『生活形式の民主主義 デンマーク社会の哲学』(花伝社 2004年)の中で書いています。
国民一人一人が啓蒙され、一人一人の生活が民主主義に根差したものである時に、その国は民主国家になっていくという考えです。民主主義とは民衆教育であるとガンディーも同じことを主張しています。
そして、ガンディーはグルントヴィを知らなかったかもしれませんが、神に祈る祈りの中で、民衆教育の重要性に気づいていきます。そして、God Firstを貫ける国民へと、国民を教育することを独立運動の大切な柱に位置付けていきました。

塩の行進の背後にあるもの
非暴力の不服従運動が暴動化した時に、ガンディーは不服従運動の中止を宣言し、田舎にこもって糸紡ぎに明け暮れる日々を送ります。「ガンディー失意の時代」と表現する人もいますが、実は、この時代こそ、ガンディーが民衆教育に没頭していた時代です。毎週発行する新聞の社説を通して、平和で非暴力の社会を作るために目指すべきは、平等な社会であり、そのためには、人々の暮らしの中心に手仕事がなければならないと説きました。そして、自ら糸車を回すことで、手本を示したのです。約10年の教育期間を経て、非暴力を理解できた弟子たちを連れて、ガンディーは塩の行進に出発しました。
非暴力を自分のものとした人々は、殴られても仕返しすることなく、海岸に向かって、海水から塩を作っていきました。

インド独立運動では、塩の行進に脚光が当たりますが、その背後にある民衆教育に目を向けるべきではないでしょうか?
過去の日本でも、民衆が大本営発表にだまされ、戦争に協力していった歴史があります。だました方が悪いのですが、だまされた側の責任ということも、考える必要があると思います。そして、2度とだまされないで、正しい判断ができる国民として成長するためにも、民衆教育を考える必要があると思います。

ガンディーは語ります。
神は、その瞬間、瞬間にきっかり必要なだけしか、決して創造されません。ですから、もし誰かが自分が本当に必要とする以上を自分のものとしてしまうなら、隣人を困窮させることになります。世界のさまざまな所で人々が飢えていますが、これは、我々の多くが必要とするよりもはるかに多くを独占しているためです。
一番安いものを買うようにと、そのことによって隣に住む隣人に何が起ころうと考慮する事なく教えるのは浅はかな哲学です。
ある国が他の国を犠牲にすることを許すような経済は、不道徳であり、「低賃金および過重労働」によって作られた商品を購入し、使用することは罪深いことです。アメリカ産の小麦を食べ、隣人の穀物商にお客が来なくなり、困り果てているのを顧みないというのは罰当たりなことです。同様に、私がリージェント通り(ロンドンのウエスト・エンドにある高級ショッピング街)の最新のファッションを身にまとうのも悪いことです。と言いますのも、もし隣人が紡ぎ、織った布を身に着けさえしていれば、私が衣類を手に入れるだけでなく、彼らも食べ物と着る物を手にすることになると知っているからです。

労働の尊厳を取り戻すために
このようにガンディーは書き、民衆に人としての生き方を教えていきました。そして、労働を尊ぶ教育を提唱しました。
デンマークのグルントヴィも、子どもたちを『本の虫』にしてしまう学校教育を批判して、次のように述べています。
「幼年期を教室で諸々の本や黒板、ペンやインクで過ごして浪費するなら、全体として他の人々の経済支出に頼りながら情緒的で怠惰な生活に埋もれているなら、ハンマーややっとこ、斧やのこぎりを手にし、あるいはロープや水夫樽を手にして熱心に働くことは簡単ではないと経験は教えている。・・何事かをなそうと全く考えないか、あるいはたんに読んだり、黒板で計算したり、図形を描いたり、理性的推理によって結論を導いたりするのを好むだけの状態、そうした魔術感染状態の不幸に陥ってしまう。」(『ホイスコーレ』N.F.S.グルントヴィ著・風媒社 2014年)

いつの時代も人にとっての必需品は、衣・食・住です。しかし、近代化以後、大半の人が必需品を買う暮らしとなり、作ることをしなくなりました。近代教育を受けて育った世代は、頭でっかちな『本の虫』となっていきました。ですから、ガンディーに共鳴する人であっても、糸紡ぎを日課にする人は多くありません。むしろ書物を書いたり、講演などのイベントを開催したりすることの方が重要視されている傾向にあります。
しかし、必需品を買う生活を続けている限り、サラリーマン生活をしながら、安いものに手を出していくしかありません。低賃金労働で作られた物だったり、機械で作られ、遠くから運ばれる物だったりします。その結果、弱い立場の人を搾取する加害者になったり、資源・エネルギーの浪費に加担したりすることになります。
私たちはもう一度、自らを教育し直し、ただの『本の虫』であることをやめ、手足を使い、手間暇をかけて、意欲的に働く人へと成長することが重要になります。

互いに成長していく場として、今年は、月2回の糸紡ぎを開催していきたいと思っています。基本的に第1・第3月曜日10時から12時。場所は岡山県久米南町中央公民館です。具体的日程などはその都度、このホームページのトップページでご案内します。ガンディーがインドのワルダという村を拠点にして、村の再建を目指したように、いつの日か、私が住むこの町がカディーの町になればと、壮大な夢を追いかけながら、地道に一歩ずつ歩んでいきたいと願っています。




ホイスコーレを提唱したデンマークのN.F.S.グルントヴィについて (2019.1.12.)
 
 子どもたちを自然の中で育てる「森のようちえん」という素敵な活動について興味を持ったことがきっかけで、デンマークの教育者グルントヴィを知りました。彼は牧師でもありました。
 彼について書かれた本『N.F.S.Grundtvic  An Introduction to his Life and Work』(A.M.Allchin著) が、また興味深かったです。
 以下はその抜粋です。

 1783年にグルントヴィは生まれました。その数年後の、1786年から88年にデンマークで土地改革が行われ、地主が小作人に土地を分け与え、多くの自作農が誕生しました。こうして、デンマークは貧富の格差が少ないという意味での豊かな国になりました。このような非暴力の革命が実現した背景には、富は重荷であり、極端な富の偏在は正義に反するという考えがありました。
 少年時代にデンマークの土地改革を目にしたグルントヴィは、民主主義がこれからも機能していくためには、適切な教育が必要だと考えるようになります。そして、心が置き去りにして、知識ばかりを詰め込んでいる教育を批判し、心と頭の両方を大切にする教育を推奨しました。
 
 知恵とはいかに生きるかを学ぶことです。そのためには自分自身を取り巻く世界についてと、自分自身の内面を知らなければなりません。そのような探索をしていく中で、自分自身を含めて、この世界のあらゆるものを創造された創造主に思いが至ります。そして、すべてをギフトとして与えたくださった創造主を知るときに、愛の感情が生じます。愛があるから、知りたいという思いが湧いてくるのです。
 その愛を土台にして、この世界と自分自身について学んでいくときに、人は統合された人間へと成長します。このように人を全体として育てていくのが教育であるべきだと、グルントヴィは考えます。

 人はサルではありません。神が命の息を吹き込まれて生きるものとなった存在です。そして、人類の歴史の背後に、神の働きがあります。

 人とは、互いに相互依存した存在です。孤立して存在できる人はいません。それゆえ、他者を犠牲にして自分だけの自由や富を享受していると、結局は自分の自由も失ってしまうことになります。ここから、北欧型の自由の概念が生まれてきました。。
 つまり、隣人にも自由が与えられるように、自らの自由に自発的に制限を設けるという考えです。そして、隣人に対する責任を自覚し、実行します。互恵的な自由の概念です。
 この北欧型の自由は、個人の権利を第一にして、規制なき競争を認める資本主義社会の考えとも、階級闘争を認める社会主義の考えとも異なっています。

 自由と責任を両立させるために、そして、両立させることのできる人間を育てていくために、グルントヴィは「心・口・手」の教育を説きました。
 心に浮かぶことを言葉にして口で表現することで、思いを明確化します。
 そして、手を使った仕事を通して、表現した言葉を実体のあるものへとしていきます。 教えるものと学ぶものが生活を共にし、祈りと労働の調和がある生活を送るのです。天を見上げながら、地上での生活に精を出すのです。このことを通じて、隣人との平和を築き、心の中に平安を得ていきます。
 そして、このような生活からもたらされる霊的な目覚めが生きる喜び、希望へとつながります。自分の命と、神様が創造されたすべてのものに感謝することから、一人一人が良い目的のために何かを捧げる人へと成長していきます。そして、人類に奉仕するために神様に用いていただく器となっていきます。そのような人々で構成される社会が、神が望まれる社会です。
 
 このような社会を理想として思い描きながら、グルントヴィはデンマークの教育を導いていきました。