2021/08/16
地球1個分で暮らすこと  豪雨は、地球温暖化がもたらした人災であるとも言えます。一人一人が地球1個分の暮らしを取り戻しなさいという、天からの啓示だと私には思われます。  先ほど紹介した水田和夫氏が日経ビジネスの記事で、次のように述べています。(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00261/022500002/)...
2021/08/16
弱者に寄り添う税制を  豪雨で大変な被害が出ています。被災された方々のことを思うと、心が痛みます。さらにコロナ禍が追い討ちをかけます。今、この状況で何ができるか、と考えるときに、金銭的な支援も有効であると思います。...
2021/08/05
サイラス・マーナーが、泥棒が家にやってきたその日に限って、鍵を掛けずに外出していたことについて、次のような説明があります。...
2021/08/02
 3年半前に夫の故郷で暮らすようになってから、畑で育てていた作物がある日突然枯れてしまったり、収穫しようと思っていた作物が忽然と消えていたり、ということが続いていました。  人口5000人のこの町が嫌いになっていきました。所詮私は歓迎されない余所者なのだと、ひねくれた思いが生じていたのです。...
2021/07/03
 「能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。」(P180)と、能力主義の問題点を指摘し、労働の尊厳を取り戻そうという主張は共感できますが、その解決策が、「低賃金労働者へ政府が一定額上乗せをする賃金補助」(P306)か、あるいは「給与税を引き下げるか撤廃し、代わりに消費と資産と金融取引に課税」(P311)するという主張には、これが解決策だろうかと、疑問が湧きました。    労働の尊厳を取り戻すには、エッセンシャル・ワークを正当に評価することが必要です。「大学の学位は持たないが、まともな職について人並みの暮らしをしたいと願う。これは当然の願い」(P245)ですから、肉体労働者と知的労働者の給与に格差があることがおかしいはずです。ですから、本来は、最低賃金を引き上げ、生活給を保証することがまずやるべきことであるはずです。  ガンディーは、最低賃金だけでなく、最高賃金の額も定めて、両者が等しくなるようにしていくべきだと、主張しています。  会社のトップが破格の給与を得る一方で、末端の労働者が安い賃金で使い捨てにされている、この現状こそ改める必要があります。  ブラックな企業ばかりであるなら、ボイコットと不服従を貫いたら良いと、ガンディーは教えてくれています。 『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(柄谷行人著・作品社)にも同じ趣旨の記述があります。  「貧乏人」とは、1990年以降、新自由主義のもとで貧窮化した人たちだと言ってよい。この状況に対して2つの態度がある。1つは、中産階級の基準に固執する「賢い」生き方である。もう一つはそれを放棄した「マヌケ」な生き方だ。  大概の人は前者を選ぶが、それは困難であって、努力しても実際にはますます貧窮化する。にもかかわらず、他人と交わり、助け合うことはしない。そして、結局、国家に頼り、排外的になる。一方、「マヌケ」たちは寄り集まり、国家にも企業にも依存しないで暮らせるように工夫する。資本主義でないオルタナティヴな空間を自分たちで作り出す。(pp.199-200) これこそが、これからの時代の生き方であり、ガンディーが目指したことでした。
2021/06/24
インゲン豆 義母の畑のジャガイモ掘りが終わって、久しぶりに自分の畑に行くと、インゲン豆が大きくなっていました。 自分が自由に使える小さな畑があることが感謝です。 義母の畑を自由に使えないために、せっかくの農地を十分活用できないもどかしさはありますが、全てを思い通りにしたいというのも、傲慢な考えでしょう。...
2021/06/23
じゃがいもを掘りました。 夫の実家の畑のじゃがいもを、数日前から夫と掘って、なんとか全部収穫することができました。 種芋を買いすぎですよね。...
2021/06/03
 献血をする人が減っているそうです。災害などの被災地でボランティアをするのとは違って、献血をしても直接感謝してもらえるわけではないから、献血はコストパフォーマンスが悪いのだそうです。『世界は贈与でできている』(近内悠太著・ニューズピックス・2020年)に、そのようなことが書いてあって、「『感謝というレスポンス』が直ちに返ってこないと贈与ができないというのは、もはや贈与ではありません。それは、贈与に見せかけた『交換』でしかありません。」と指摘してありました。  確かに、感謝されると嬉しいし、そしていつの間にか、人からの評価を気にしながら、生きてしまいがちです。それが人間というものかもしれません。でも、そういう呪縛から自由になりたいものです。  東日本の震災の時は秋田にいました。西日本の豪雨の時は岡山にいました。わりと身近なところに被災地がありましたが、引越しで疲れているし・・・まだ、新しい地に慣れていないし・・・と、ボランティアに行きませんでした。そのことにずっと後ろめたい気持ちを抱えていました。でも、献血というボランティアもあると、気付かされ、みんながやっていることでも、できなかったら仕方ないし、自分にできることをやったらいいんだと、すごく気持ちが楽になりました。  認知症の義父母と接していると、やはりストレスが溜まります。感謝されることはまずありません。それどころか畑に除草剤を撒かれたりします。・・・わからずにやっているから、腹を立てても仕方がないと思っても、なかなか苦しいですよね。家族だから故の難しさもあります。  適度な距離を保ちながら、「天は見ている」と、思うことで、心の健康を保っていくことが必要です。  新しい場所に畑を借りて、楽しんでいます。初めての400cc献血にも挑戦しました。小柄で元々血圧の低い私には、かなり心臓がバクバクする体験でしたが、どこかで私の血が役に立っていると思うと、嬉しいですね。
2021/05/24
2021/04/21
草に埋もれそうな藍を救出するために草取りをして、密集して生えている藍は間引いて、間引いたものを空いているところに植えました。 翌日に雨も降ってくれたので、植え替えたものも根付いてくれました。...

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