中部ツアーでは、講演をさせていただいた後、みなさんと分かち合う時間がありました。そのおかげで、私自身も多くの気づきを与えられ、これからの課題も見えてきたように思います。

1.開かれた関係
 農村の暮らしを再建することをガンジーは目指したわけですが、それは決して、以前の農村の暮らしをそのまま取り戻すことではありません。
 かつての日本の農村が、パラダイスだったわけではありません。地縁、血縁に縛られた封建的なしがらみ、よそ者を排除する排他性、村八分など・・・負の側面も存在しました。
 いつでも新しい人をようこそと、歓迎できる仲間づくりが求められています。
2.休息は基本的人権である。
 ガンジーは、すべての人に休息する権利があると、あるところで書いています。
 たくさん働いた人がたくさんの報酬を得て当然だ、という価値観を問い直すことは大切です。そして、より多くを獲得しようとするのではなく、与えることが人生だというお話もさせていただきました。なぜなら、私たちは、自然界の恵みをはじめ、見える目、聞こえる耳、自由に動く手足、教育を受けられた環境など、すでに多くのものをを与えられているからです。たくさん与えられている人が、たくさん捧げるのは、当然のことです。
 しかし、これも行き過ぎてしまうと、疲れてしまいますね。あの人は高齢で足腰が不自由なのだから、私が助けてあげなくては・・・と思うのは、良いことですが、いつも自分が助ける側、支える側だと、時には支えて欲しいという思いも、当然湧いてきます。
 だから、ガンジーは言うのです。休息は基本的人権だと。疲れた・休みたいという本音を、心の底に押し殺してしまわないで、素直に声に出すことが、大切です。そうすれば、きっと良い方法が見つかることでしょう。
3.お返しではなく恩送り
 お返し文化が根付いていると、何かしてもらっても、素直に「ありがとう」と感謝して受け取ることが難しいです。頂いたものに見合うお返しをしなければと、思いがちです。それも、物や金銭でとなると、せっかくの人間関係がよそよそしいものにならないでしょうか? 「お返しをしたのだから、もう貸し借りはないよ」と、対等な関係のようで、なんだか関係を切ってしまうことのように、私は感じます。
 子どもは親に支えられて大きくなります。そして大人になったら、今度は子ども育てる側になります。してもらったことを親に返すというよりも、自分の子どもを育てることで、親の恩に間接的に報いる、これが本来の在り方ではないかと思います。
 だから、人の援助が必要な時は、お返しをどうしよう?などと悩まないで、助けてくださいと声に出し、そして支援は素直に感謝していただく。そういう勇気を持ちたいです。そして、支えられて自分自身が成長することができたなら、その時に、自分の周囲に困っている人がいたら支えてあげる。それでよいと思うのです。
4.お手製糸車
 名古屋の会場に手作りの糸車を持ってきてくださった方がありました。チャルカをインドから取り寄せていることに抵抗があったので、糸車も自給できたら、とても素敵です。使ってみると、すいすい紡げました。畳めばチャルカよりももっとコンパクトに、竹筒の中に入ってしまう優れものです。竹細工が得意な仲間とつながって、みんなが得意なことを出し合って、つながることができるって、素晴らしいなあと思います。

知多木綿の産地だった知多半島の「手織の里 木綿蔵・ちた」を案内していただきました。
家織り(うちおり)
 江戸送り日本一と言われるほど、品質のよい反物を生産していた地域でしたが、そうやって、江戸で販売することを目的とした生白木綿だけでなく、自家用に「家織り」と呼ばれる藍染を主とした縞木綿が織られていたそうです。
 販売を目的とするよりも、「家織り」を復活させたいですね。
 販売することで、手紡ぎ・手織りの労力に見合う収入を得ようとすると、着物なら超高級な物を作って、高い値段で売るしかありません。あるいは、マフラーやハンカチなどの小物をそこその値段で売るか・・・しかし、手紡ぎ・手織の良さは着てこそ実感できます。その暖かさ、着心地の良さ・・・みなさんに知ってほしいです。
 「家織り」なら、自分が一生懸命作った物を自分や家族が着るのですから、労力のかけがいがあるというものです。江戸時代の人々にできていたことですから、今の私たちにできないことはないはずです。私はそれを確信して、販売するのではなく、自分が着るための服を作ってきました。これからもそうしたいですし、そろそろ家族の服も作りたいと思っています。着てくれるかしら???