習慣の論理:サイラス・マーナーその2  

サイラス・マーナーが、泥棒が家にやってきたその日に限って、鍵を掛けずに外出していたことについて、次のような説明があります。

 「安心感は、確信よりはむしろ習慣からもたらされる・・予想された事件の起こらなかったそのあいだの時の経過は、この習慣の論理によると、たといそうして時の経過してゆくことが、明らかに事件をいっそう危険にするものであっても、つねに事件は決して起こるものではない、という理由として主張されるのである。屋根が今にも落ちかかっているのに、自分が少しも危険を感じない理由として、40年間鉱山で働いていたが、そのあいだ事故のために一度も怪我をしたことがないからだ、という人があるかもしれない。・・・このことが、彼(サイラス・マーナー)がつねに似ず、家や財産のしまりもしないで家を外にしながら、安心しきっていられたということを、至極簡単に説明している。」(「サイラス・マーナー」岩波文庫 pp.74-75)

原発の事故も習慣の論理がもたらした破綻だったと思われます。

そして、地球温暖化や自然災害についても、危機意識の欠如に、これまでの習慣から大丈夫だろうと思ってしまう人間のどうしようもない惰性的な弱さを感じます。コロナの自粛疲れにも、同じ論理が当てはまりそうです。ジョージ・エリオットという作家は、人間の内面を深く洞察して、警告を発しています。