『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル著)を読んで。

 「能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。」(P180)と、能力主義の問題点を指摘し、労働の尊厳を取り戻そうという主張は共感できますが、その解決策が、「低賃金労働者へ政府が一定額上乗せをする賃金補助」(P306)か、あるいは「給与税を引き下げるか撤廃し、代わりに消費と資産と金融取引に課税」(P311)するという主張には、これが解決策だろうかと、疑問が湧きました。

 

 労働の尊厳を取り戻すには、エッセンシャル・ワークを正当に評価することが必要です。「大学の学位は持たないが、まともな職について人並みの暮らしをしたいと願う。これは当然の願い」(P245)ですから、肉体労働者と知的労働者の給与に格差があることがおかしいはずです。ですから、本来は、最低賃金を引き上げ、生活給を保証することがまずやるべきことであるはずです。

 

 ガンディーは、最低賃金だけでなく、最高賃金の額も定めて、両者が等しくなるようにしていくべきだと、主張しています。

 会社のトップが破格の給与を得る一方で、末端の労働者が安い賃金で使い捨てにされている、この現状こそ改める必要があります。

 ブラックな企業ばかりであるなら、ボイコットと不服従を貫いたら良いと、ガンディーは教えてくれています。

 

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(柄谷行人著・作品社)にも同じ趣旨の記述があります。

 「貧乏人」とは、1990年以降、新自由主義のもとで貧窮化した人たちだと言ってよい。この状況に対して2つの態度がある。1つは、中産階級の基準に固執する「賢い」生き方である。もう一つはそれを放棄した「マヌケ」な生き方だ。

 大概の人は前者を選ぶが、それは困難であって、努力しても実際にはますます貧窮化する。にもかかわらず、他人と交わり、助け合うことはしない。そして、結局、国家に頼り、排外的になる。一方、「マヌケ」たちは寄り集まり、国家にも企業にも依存しないで暮らせるように工夫する。資本主義でないオルタナティヴな空間を自分たちで作り出す。(pp.199-200)

 

これこそが、これからの時代の生き方であり、ガンディーが目指したことでした。