ベーシック・インカムではなく、誇りを持てる仕事を! 「ブルシット・ジョブ」を読んで

 

ブリシット(クソどうでもいい)仕事につかなくても生活できるように、ベーシック・インカムを導入しようというのが、この本の著者の結論のようでした。しかし、どうして、誇りを持てる仕事を増やそうという結論にならないのか、不思議です。

 

清掃・介護などエッセンシャル(不可欠)・ワーカーズが低賃金で長時間の労働に従事している実態があるのですから、彼らに十分な給料を支払い、休みも保証することで、エッセンシャル・ワークを誇りある仕事に位置づけ、ブルシット・ジョブに従事している人たちにエッセンシャル(=不可欠)な仕事に従事してもらうようにすれば解決するはずの問題です。

 

しかし、そのような方向にいかないのは、エッセンシャル・ワークをやりたくないからでしょう。肉体労働蔑視という風潮があると思います。ブルシット・ジョブがこんなに増えてしまったのも、結局、大学進学率が上昇し、大学を出た人たちがホワイトカラーの仕事を求めるからだと思います。

 

私たちはその価値観を転換しないといけないと思いますし、大変な仕事の中に喜びが見出せるように、大変さを皆で分かち合う工夫が必要です。

 

どのような仕事でも安い単価で長時間従事させられると、辛いものになります。綿摘みもアメリカ南部では奴隷の仕事でした。綿摘みは本来収穫の喜びを味わう楽しい作業ですが、奴隷という境遇が、その仕事を辛いものにしてしまいました。

 

一方で、介護などのケアになってくると、本来楽しいものとは言えず、むしろ大変さが先に来るでしょう。だから、家族にだけ押し付けず、社会で担おうという発想から、いろいろな福祉の制度ができ、介護施設ができていったと思います。その結果、今は、介護職員に負担がのしかかっているようです。

 

エッセンシャル・ワーカーの待遇改善が求められます。エッセンシャル・ワークの給与を上げ、交代で従事して休みもしっかり取れるようにすれば、余暇を利用していろいろな活動ができます。

 

どのような仕事に従事していても、仕事をしながら、文化的活動をする余裕があれば、ベーシック・インカムを導入しなくても、いろいろな文化が花開くはずです。

 

肉体労働や大変な仕事を弱者に押し付けることをやめて、全ての人が分担し、一方で、すべての人が知的活動にも従事する。そういう社会を築きたいものです。文学を堪能し、芸術活動をしたり、哲学・思索することは、学校を卒業して終わりではなく、生涯続けていくことだと思うのです。人間は「考える葦」ですから。

 

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コメント: 3
  • #1

    笹目泰和ocean4540.com (日曜日, 05 11月 2023 08:36)

    全く同感。その方向性実現のためには、現代の高等教育の全体的取り組みが有効でしょう。「全体的」とは、分科とは、逆の方向性です。いったん教養学部の中で涵養してもいいですが、望むらくは、哲学的止揚の新学問のコアから各領域への適用された幅広い学問、及び工学的スキル段階までの深化が肝要かと。

  • #2

    片山佳代子 (日曜日, 05 11月 2023 15:59)

    コメントをありがとうございます。人は何のために生きるのか、この人生は何のためにあるのか、思索する場が高等教育にあって欲しいです。就活に振り回されてしまう大学の在り方が変わっていかねばならないと思います。そして、頭だけでなく、手足があるのは両方をバランスよく使うためだと気づきたいものです。掃除は衛生状態を良くして病気の予防ができるから、医者以上に立派な仕事だと評価されるようになれば、素敵だと思います。嬉しいコメントをありがとうございました。

  • #3

    笹目泰和 (日曜日, 12 11月 2023 01:22)

    いや、ご返事をいただけるなんて光栄です。わたしは今、実際、市のパッカー車でゴミ拾いの仕事をやらせてもらっており、なんとか健康を維持しておるところで、貴女様の深い洞察に出会い、優れたご見識だと思いコメントさせてもらいました。
     以前、同じ内容で「エッセンシャル・ワーカー」という詩を書いたことを思い出しました。ありがとうございました。