ジョン・ラスキンと聖書

『芸術経済論』(ジョン・ラスキン著)より

ジョン・ラスキンは、ガンディーに影響を与えたイギリスの経済学者。19世紀の人です。

  • 人間の労働は、必要なすべてのものだけではなく、たくさんの贅沢な楽しいものを彼に供給できるほどいつも十分なのである。
  • 欠乏や悲惨や堕落を見るところには、勤勉が不足しているか、勤勉が誤用されているかのどちらかである。
  • 我々が金を使うときはいつも、人々に仕事をさせるのである。・・一定期間に一定の品物を生産することを彼らに強制する。・・
  • 裁縫婦を使い、7着の衣服を作り、1着をあなたが着て、6着を貧しい少女へ譲ると、お金を利他的に使うことになる。同じ人数の裁縫婦であなたが一度だけ着る舞踏会用の衣服のためにひだ飾りを作るなら、お金を利己的に使うことになる。
  • クリスマスにバラの花を欲しがらせようとする。貧しい人々の労働力は、役に立つものではなく、富裕者が欲しがるものの生産に向けられる。
  • たくましい体つきの男が、腕力を利用して空腹の子どもたちからパンを取り上げるのを目撃したら、みなさんは憤慨するであろう。・・知力に優れている男が、他の同業者が食いはぐれるように、彼の知力を利用することは、少しも憤慨しない。

 ジョン・ラスキンが語る言葉は深いですね。

 ガンディーの糸紡ぎの取り組みは、ジョン・ラスキンの思想の実践でした。すべての人が有益な仕事に従事することで、公正な社会を実現しようとしたのです。

 ジョン・ラスキンの思想は19世紀という古さを感じさせないです。それは彼が、聖書を土台に経済を論じているからだと思います。『この最後の者にも』という本も彼は書いていますが、聖書に出てくるブドウ園労働者のたとえ話が元になっています。丸一日働いた人にも、最後の1時間だけ働いた人にも等しく1日分の賃金を支払ったという話です。

 聖書が語る公正は、私たちの常識とかけ離れています。私たちがそれだけ罪深いということでしょう。50年以上生きていれば、いろいろなことを経験します。よいことをやっていれば、よいことだけが起こるという単純なものでは決してありません。もちろん、感謝せずにはいられないこともたくさんありますが、時にはなぜ?と思うような仕打ちにあうこともあります、・・・また一方で、自分自身の醜さに気づいて愕然とすることもあります。そういう現実だからこそ、究極の善であられた方が十字架にかかる不条理が起こります。しかし、不条理のままで終わらず、やがて迎える復活の朝に希望と救いがあります。

 だから私は、いつも傍らに聖書を置いて、自分の進むべき方向を誤らないようにしたいと願っています。

 健康上の危機、経済の危機に直面している今この時、聖書が語る真実をシェアできたら素晴らしいなと思っていた時に見つけたのがこのサイトです。

 あるアメリカの教会の礼拝メッセージですが、「予期せぬ危機に直面すること」シリーズの衝撃、希望、苦痛、信仰、感謝のメッセージはとても参考になります。英語のわかる方は、是非、英語のサイトもご覧ください。