変化の時代と民衆教育

 仕事とは、こんなにあっけなく消滅していくものなのだと、最近感じています。英語を教える仕事も、糸紡ぎのワークショップも、このご時世では、今は休業状態です。

 しかし、料理などの家事は消滅しません。糸紡ぎ、機織りなどの手仕事に励むことも好きなだけできます。そろそろ、畑仕事も始まります。結局、人が生きていくために必要なのは、こういうことなのかもしれません。

 今年は特に、農作業に励みたいと思っています。マスクのように食料も不足するかもしれないからです。

 そうは言いましても、現金収入が途絶えた状態が半年以上続くと、さすがに厳しいので、いろいろ考えています。電機メーカーなどがマスク生産に乗り出しているように、今は変化の時かもしれません。これまでと同じことを続けることに固執しなければ、生きていける道はあると信じて、模索していきたいです。

 自動車メーカーのトヨタはもともと自動織機のメーカーでした。織機から自動車に転換したように、また織機に戻るとか、あるいはもっと別のものへと、変化が必要な時代かもしれません。

 歴史を振り返れば、このような大転換の時代は、繰り返されています。私の故郷を流れる吉井川では、江戸時代までは高瀬船が往来して、物流を支えていました。『美作ノ国吉井川』という小説では、鉄道の建設が始まったとき、高瀬船の船頭たちは、吉井川に水が流れている限り、高瀬船がなくなるわけはないと主張していました。

 しかし、高瀬舟は消滅し、船頭たちは人力車の車夫やほかの仕事へと向かいました。明治維新によって、禄を失った武士たちは、やはりいろいろな商売に挑戦していきました。没落していった武士も大勢いました。

  急激な変化の時代には、失業者への支援が必要になってきます。特に今は、給付金、失業補償などが必要です。ただし、限られた財源しかないわけですから、何でも、欲しい、欲しいではなく、分かち合う精神を培いたいものです。

 他国に比べて、補償内容が見劣りし、困っている人になかなかお金が給付されないのは、財政赤字が大きいせいだと思います。そして、日本がこれほどの財政赤字を抱えたのも、法人税を安くしたりの大企業優遇と、頂けるものは何でももらわなければ損だと考える日本人が多かったせいではないでしょうか?政治も悪かったと思いますが、政治家を選んでいるのが、私たち国民です。

 困っている世帯への30万円が、みんな一律に10万円へと変更されたのも、困窮者とそうでない人の線引きの難しさもありますが、自分がもらえないなら意味がないと考える人たちが多かったとも言えるでしょう。自分も大変だけど、私よりももっと困っている人がいるのなら、その人へと考える人が少ないことを反映していると思います。

 広島県の湯崎知事が、県職員に給付金の10万円を県に寄付するようにと提案しましたが、いろいろな意見がでて、結局、知事は発言を撤回したようです。強制は良くないと思いますが、趣旨は間違っていなかったと、私は思います。県の職員だけに限らず、余裕のある人が、自分が住む県に寄付できる仕組みを全国的に作ったら良いと思います。自主的に寄付する人が大勢出てくるなら、日本もまだ救われるでしょう。

 そして、今、本当に必要なことは、互いのことを思いやれる日本人を増やしていくことです。今学校が休校になっていますが、この機会を利用して、人生とは何のためにあるのか、じっくりと考える時間をとれたら素敵です。子どもだけでなく、大人たちも、自分たちはどこに向かうべきなのか、本当に考えたいです。 

コメント: 2
  • #2

    片山佳代子 (月曜日, 27 4月 2020 20:02)

    笑福亭学光さま、コメントをありがとうございました。行けないこと、会えないことは、とても残念なことですが、それでも、できることの中で、必要を満たしていければと思います。完璧ではなくても、無ではないことを大切にしたいです。言葉の力は偉大です。ガンジーの言葉にいつも励まされていますが、私が生まれる前に死んでいた人ですから、会ったことも、話したこともないです。それでも、大きな支えです。聖書の言葉などもそうですね。文字に書かれた言葉を、じっくり味わいたいです。そして、今は会えない人にも、言葉を届けたいです。

  • #1

    笑福亭学光 (金曜日, 24 4月 2020 13:52)

    自然災害の時は私たちは必要とされていると感じていましたが、今回は必要ではないんのです!いや必要かもしれませんが行けないんです(泣)。
    お笑い福祉士の皆さんにもこれを転送しで人生について、ボランティアについて考えてもらいます。私もゆっくり畑仕事しながら考えてみます!ありがとうございます。